おバァ達のやまとぅ(大和=日本本土)への旅
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はたまた沖縄へ・・・。
今回の沖縄は、母の喪があけたのを待ってのことでした。
今年の連休に母が急逝し、この間の喪の時期を過ごしてやっと100か日を向え、日常生活に戻ったという訳です。
となると、やっぱり、沖縄でしょう!!
というわけで、沖縄へ・・・。
ところが、なにやら台風が来ているらしい。でも、そんなことにはめげず、行って参りました沖縄。
夕方の那覇空港は台風の影響で風が強いものの、思ったより雨は少なくホッとしたのですが、こんなときにもわがおバァ達はものともせず、彼女達よりずっと若いわたしを、わざわざお2人で車でお迎えに。
ひとりは澄子おバァ、そしてもうひとりは朝子おバァ。澄子さんは76歳、そして朝子さんは68歳というお年なれど、なになに、若者には負けじと元気元気。
翌日のアスムイは、これまた台風の影響でものすごい強風。さすがにアスムイのある金剛石林山のゲートは閉まっていました。
しかたなくわたし達はゲートの前で手を合わせ次の機会に昇ることに。あ~あ、2時間かけてきたのに・・・と思ったのですが、あれだけの急勾配の山をこの強風のなか、おバァ達と昇るわけにもいかず、涙を呑んで断念。
もう一人の仲間である朝子さんは、「ああ、大きな男が立ってるよ~」と。彼女、アスムイのお隣のウタキがある山に大きな男の人が立っているのが見えている様子。
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10月22日の時代祭りもおわり、いよいよ京都も秋がやってきました。
いつものとおり、烏丸御池のポジションで時代祭りを見たのですが、わたしが好きなのは彰義隊なんです。
明治維新の時、少年達が参加していたということですが、この軍楽隊(?)を編成するいたいけな子ども達が、ああして、ご維新に加わっていたのだろうか・・・と思うと、幼さの残った井出達だけに、なおさらいたいけさを募らせます。
時代祭りが始まる朝、御池の通りを朝一くらいでこの彰義隊の隊列が御所に向って歩いていきます。まるで露払いの様ににです。
マーチングバンドのように、何人もの少年達がそれぞれに楽器を担当しているのです。
マーチングバンドと違うのは、もちろん金管楽器はなくて、横笛、大太鼓、小太鼓、そして鉄砲隊が加わっている所です。
ご維新に対する思いって、どんなんだったんでしょう・・・?
今の若者達にはない政治感覚だったんでしょうか。
若者というものは何時の時代にも、先を夢見るものですけれど、夢の先にある今の時代を見たら、あの時代の少年達はどんな想いをするのでしょうか・・・。
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今日は仕事で宇治へ行ってきました。
駅を降り立つと、発見!!郵便ポストがなんと、茶壷ではありませんか。
そう、宇治と言えば、お茶。
そして、紫式部。それに鵜飼い・・・やら、もろもろありますが、そんな中で今日は宇治の「田楽まつり」のポスターを発見!!
宇治は「宇治田楽」といわれる田楽の発祥の地でもあるとのことです。日本人にとって五穀豊饒は昔からのせつなる願い。
その願いを込めて、田の神にお願いをする儀式が芸能として昇華されたものが、この宇治田楽といえます。宇治の白川というところには、こうした芸能を奉納する芸農民がいて、白川座とか本座と呼ばれていたようです。
田楽は時代とともに失われ、その復活をテーマに伝統的要素を取り入れた芸能を模索するプロジェクトとして「宇治田楽まつり」が企画されたとか。
まつりは10月17日(土)午後5:30から府立宇治公園(中ノ島)にて。田楽踊りなどの芸能が見られるそうですよ!
もちろん、9月13日にはすでに宇治神社と宇治上神社で、奉納踊と神水の儀が執り行われたということです。
そして・・・、駅前を進み大きな道路に突き当たった所には、有名処のお茶屋さんが開いているカフェが・・・。
わたしは、残念ながら、情緒溢れる宇治の町を横目に見ながら仕事に向ったのでした。
ああ・・・、お抹茶のパフェ、食べたかったなぁ~
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法事最中の大仏を後に勢い楊谷寺へ向いますが・・・、山の斜面に広がる小さな村の風景には、そこここに本当に小さな田んぼが続く。これでどれくらいのお米がとれるんだろうと思わず想像してしまいたくなる程の田んぼだけれど、そこには稲作への思いもきっと詰まっているんだろう。
それに、山道にはこんな恵みまであって・・・。
でも傍には「山菜や山の恵みをとりに入らないでください」の看板。しかも微電流の流れている鉄の柵まで延々と続いているんです。だれか取りに入るんでしょうか?でも、山の恵みには事欠かない感じの山道でしたよ~。
舗装道路に出てからしばらくしてやっと楊谷寺の駐車場のコスモス祭り会場につきました~!
おりしも、この間の台風で壊滅状態になってしまったコスモス畑では、名残のコスモスを摘む人たちが楽しそうにコスモスを手にいっぱい摘んでいました~。
ちなみに「いとこ汁」とは、ナスとかぼちゃと小豆を味噌仕立てにしたものだそうです。まあ、言ってみればお味噌汁のような感じですけれど、かぼちゃの甘さが程よいお汁でした。
これはこの乙訓地方で昔から作られていて「おしょうらいさん」(精霊供養)におあげするお供物のようなものだったそうですよ。
やっと「いとこ汁」にありつけたってわけです。
ビタミンがタップリのこの「いとこ汁」
早速、家でも作ってみたいと思いましたゾ!
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ずっと続く山道には、そこかしことお地蔵さんや道仏が・・・。山道の右手には水の流れる音がしています。小さな川がずっと流れている、その音を聞きながら山道を歩き続けるのですが、はたと気づいたことがあって、一瞬冷や汗。
まあ、飲料水を買い忘れたってわけなんですが、まあ、お寺の近くに何か売っているだろう・・・と気持ちを納めつつ歩く、歩く。

少しばかり奈良の山野辺の道のような感じの田舎道を歩いて、フト空を見上げたら・・・、オオ~!美しい雲がゆく。
「お~い雲!」とどこかで聞いたようなセリフをさけび、携帯カメラをかざすと・・・。なんと、鳳凰の羽ではありませんか~!おお、吉兆なりとほくそ笑んで、ズンズンと歩くのでありました。

それから少しばかり歩いて左手に「大仏」の看板が・・・。やっと着きました、乗願寺さん。ここは、西山の大仏といわれる大変有名なお寺らしい。しかも、高さが2.8mもあって全体が金箔が張られている木像とか。平安時代の仏様だそうですよ。阿弥陀如来像ということですが、学問と智慧の仏様で、この仏様の膝は直接触ることができるんだそうです。

ところが・・・!やっとついたのはいいのですが、何と!法事が執り行われているではありませんか。そりゃあそうですよね、お寺ですもん。でも、こうした名所にあるお寺って、どちらかというと観光ムードですけれど、ここはまさに生活の中に息づいている観光名所というか、日常を息づいているお寺でした。「南無ぅ・・・」

本堂の前には狛犬ならぬ、番猫さま(?)が優雅にお昼ねモード。わたし達に気遣ったのか、むっくりと起き上がりくださりご挨拶。
大仏は拝見したいものの、法事中ではねぇ~と仕方なく先を急ぐのでした。空は青空、そして気のせいか紅葉がいささか顔を赤らめ始めている西山の大仏付近でした。
(う~ん、なかなか「いとこ汁」に辿り着きまへんなぁ~)
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さても、連休の中日の今日は西山にでかけることに・・・。京都の乙訓といわれる地域に始めて足を運ぶことにしました。

「長岡京」という都があったことはご存知のことだと思います。京都の西にあり、(だから西京区?)平安京の前に避けた旧都。大阪と京都を結ぶ軸の中心にあるそうですよ。
阪急特急に乗っておよそ20分、長岡天神駅でおりてからバスで15分くらい乗ったでしょうか、「奥海印(おくかいいん)」というバス停で降りて、そこからは徒歩でまずは楊谷寺を目指す。
というか、なんでもこの連休あたりに、楊谷寺のあたりで「いとこ汁」を振舞っているという情報があったので、その「いとこ汁」なるものを食べにいったということなんですけれどね。

バスから降りたのはわたし達ともう一組のカップル。かれらはトレッキング姿だったけど、わたし達はその辺をお散歩でもするようなイデタチ。駅前の観光案内所では、「小1時間歩きますけど、いいんですか?」といわれたように、延々と山道(でも、舗装されてます!もちろん)が続いている。
でも、竹林がずっとなので、嵯峨野のような雰囲気でなかなかよいです。観光農園をしている地域のようで、竹林もきれいに手が入っていましたよ。

とても古い竹林らしく、竹の根がらみが土を支えていて、しかも苔むしているという。竹には親竹という竹があるようで、その竹を大切にという看板も立っていました。孟宗竹の太いの何のって・・・。京都に朝取りの竹の子を売る季節があるけれど、こんな感じの竹林から掘り起こすんでしょうね。もっとも、朝取りの竹の子って、孟宗竹の竹の子よりずっと小ぶりだけど、あれはなんていう竹の子なんでしょうね。
このつづきは、また明日!
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やっぱり何かが動き始めている・・・
年女になった、しかも還暦の。「そういう年だから・・・」、とちょっぴり意気込んだけれどおバァ達は「大きく変化させるな」と言う。
だから、今年の年賀状にも「静かにしているつもり」と書いたが、自体は勝手に動いている。
まず、ここ15年程頼まれていた社員研修の講師の仕事を辞めた。去年仕事をした時に、来年はもう辞めようと思っていたのに、オファーの予約が来るとつい了解している気弱なわたしがいた。
しかし、ついこの間、相手から企業の予算削減でという理由で、メンバー編成からこぼれた。
そんなわけで長年つづけてきた恒例の仕事が無くなったということなのを機会に、いっそのことすっかり辞めることにした。
やっぱり初めから辞めとけばよかったんだァ・・・と妙な納得。
自分の直感にもう少し敬意を払っていってよいのかも。
長く続いてきた関係がこれでやっと切れた。「卒業」!!
ところで、今朝夢を見た。
「471」という数字が浮んだ。さあ、これをどう読むか・・・。
「シナイ」?「しない」=やらない?
それととも・・・「シナイ半島」?シナイ半島とわたしがどう関係するというのだ。
夢は脈絡無くやってくる。今読んでる本のイメージから来るものか?
夢の中でわたしはひとり海に浸かっていた。遠くには若者達が海の中で戯れている。あっちにいこうか・・・。しかし夢の語りは違う。
しない、しない。あっちには行かない。
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2月下旬に琉球朝日放送で「ごほうら貝」関連の生番組をするそうな。
「ごほうら貝」といえば・・・そう、「赤椀の世直し」
名護先生の「邪馬台国総合説」とあいなるのであるが、その名護先生が出演する番組の事前収録で、浦添グスク~中城~玉城~ミントングスクと移動しつつ撮影クルーが先生について動いている。
その一行とご一緒に今回は廻ろうということで、中城を目指す。
↑ゴホウラ貝とスイジ貝を手にして説明する名護博先生
ここまでくると、もう空は晴れ渡り、朝の曇天などどこかへふっとんだ。
ひさしぶりの中城はいつもの通りに美しい姿でわたし達を迎えてくれた。
なだらかな稜線を画くグスクの石組み。かつてのひとびとがどんな風にこの石積みをしたのか創造すると、かぎりない人間の可能性を感じることができる。
中城のある場所は、南シナ海と太平洋が合流するポイント。
せいせいと広がる大海原に太陽の光が照りつけ、まるでそこにスポットライトが当たっているように見える。潮の流れがそのままに、光の中に軌跡を見せてくれている。
なんとも美しいではないか~!
その中城の中にはいくつものウタキがある。このことから、戦いの為のグスクではなく、王たちの儀礼の場であったことも予想されるそうな。
その中でも、「チゲーウタキ」というウタキがあるのだが、何を持って「チゲー」であるのかを名護先生は説明してくださった。
「チゲー」とは「着替え」であるという。
では、何を着替えたか・・・。それが問題だ・・・。
↑石垣の上から見た「チゲーウタキ」の中。 余りよく見えず判りづらいのですが、輪郭がゴホウラ貝の形になっています。中心部に主要な石がおいてあり、右の方に角のような形で一すじの人為的な石積みが張り出して作られています。
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浦添グスクでのセレモニーが終わると、参加した人々は三々五々家路に・・・。
でも、わたし達は何かものたらず、互いに顔を見合わせて「そこ」へ向った。
今では立ち入ることが出来ないようにロープが張られてしまっているが、参加者の目を盗んでそれを突破。「為朝岩」を見に行くことにする。
お天気であれば、久高島から昇った朝日がこの為朝岩をさらに登る光景が見えるはずだ。
あいにくの曇天ではあったが、それでも海の向こうにはかすかに久高島が見えている。
だとしたら、「為朝岩」を拝まぬ手はない。
ということで、龍画家のかとう順子とわたしは、その岩を見るために草で覆われた細い道にもぐりこんだというわけなのだ。
この岩がなぜ「為朝岩」といわれるかといえば、それが「烏帽子」のように見えるからだと言う。
「烏帽子→為朝」という発想になるのだろう。たしかに、「にゅにゅっ!」と聳え立つ岩は、烏帽子にみえもする。
そもそも沖縄には、鎌倉時代に島流しになった為朝の船が遭難して、沖縄まで流れ着いたという根強い伝説があるくらいだから、「烏帽子→為朝」というのは極めてシンプルな発想といえる。
その為朝が後の舜天王の誕生に関わってくるというわけなのだから、沖縄と日本(いいかたがへんかな?)の深いつながりがありそうだというのも、こういうことからも見えてくる。
ところで、わたし達のいる場所は浦添グスクのある山の突端。その場所と「為朝岩」の間の空間を占めているのは沢山の木々たちだ。
人びとの住む家もその昔にはこれほどなかっただろう。今ではコンクリートでできた家が所狭しと立ち並んでいる風景になっているが、かつて、この風景にはおそらく緑につつまれた空間に、この岩が地上から天に向けて突き立っていたに違いない。
今ではこの「為朝岩」は、民家や大木となった木や草むらに阻まれて、その全貌を垣間見ることはできないが、きっと大昔には、本当に「烏帽子」に見える姿でこの地に置かれていたんだろうな~。
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すっかり秋めいてきました。風邪がいまだ過ぎ去らぬ、ぼんやりとしたままのわたくしでございます。
さて、明日11月1日、「天鈴花のなんくるないさぁ~!」に資料をご提供していただいている沖縄在住の研究者、名護博先生の講演会があります。
お時間のある方、是非お越しください!一味違った沖縄を堪能できる筈ですよ。
「nago-kouenkai.doc」をダウンロード ←クリックすると講演会内容や場所が確認できます。
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もとはといえば夫孝行で始めたダイビング、少しだけ喘息の不安があるわたしには、そうそう気安くできるものでもない。
もちろん医師からの許可を得てでのことだけれど、わたしにとっては命がけのワザなのだ。
地上にいても呼吸が時には(ここ10年は発作が出てないけれど)しんどいのに、ましてや海の中でのこと、そう考えるともう命がけのスポーツ以外の何物でもない。
だがしかし・・・、呼吸については意外な体験となった。スノーケルで呼吸しているよりずっと楽。これは大発見!!
つまり、ストレートに口元から酸素が入ってくる(レギュレーターというのを口にくわえているから)ので、普通に呼吸しているよりも、ちょっと楽なのだ。でも、よく考えると臨終の間際って感じかな、だって、口に酸素マスクを加えて呼吸しているっていうわけだしね。
今回の初ボートダイビングでは、15M近くを潜った。
まあ、ダイビングでは20Mくらいから、深いところに潜れるライセンスを持っている人は30Mくらいいくらしいけれど。15Mくらいなら上を見上げれば海面がキラキラ輝いて見えるので、それはわたしにとてひと安心の材料。
初めて海の底の「ホール」に入った。何となく神秘的な風景だ。水の中に一緒にもぐっている人たちがまるで宇宙遊泳をしているようにプカリと浮んでいるのが見える。
岩の隙間から入る太陽光が斜めに差し込み海底を照らすさまなど、天国にいて神様の光がこぼれてきている感じだ。ほら、よく、小さな子どもが部屋に額ずき、手を合わせて祷っているところに光が差し込んでいるような絵があるじゃァありませんか、あんな感じです。
自分の姿が見れないのは残念だけれど、他の人たちの姿でそれをなぞれば少しは想像できる。自分もきっとあんなふうに浮んでいるんだろうなってね。
いつも行くロッジの壁紙を貼っておきます。こんな感じの(ここまで大きな所ではなかったのですが)「蜂の巣ホール」というところに潜りました!
それにしても、ダイビングってほんと体力いるんです~。地上に上がるとダックリと疲れて、もう何もしたくない感じになっちゃうんです。
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今年の夏に宮古島へ行った時、ウエットスーツを作ってしまった。
ものすごく潜りたいというわけでもないのだけれど、まあ夫孝行ということにしておこう、そのバディ(潜るときにペアで潜り、危険を回避する)として潜ることにしたのだ。
その勢いでスーツを作ったということなのだ。出掛ける前に「かわいいのができてますよ~」との連絡が宿から入っていたものの、いまさら「かわいい・・・」でもないものだ。
とはいえ、自分専用のスーツで潜る、しかも今回はボートダイビングなのだから、少しは気も弾む。
で、サタデーナイトフィーバー(古いか!?)ならぬ、おニュースーツフィーバー!!
シマゾーリ(もとい!びーさん)姿のデヴューなのであります。
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はてさて、宮古島で再会を果たしたS嬢とは、翌日はたまた会うことと相成るわけなのですが、というのも、翌日はそのS嬢の勤務する知的障害者の施設の運動会があるんです。
そして、行事の後といえば・・・そうです、反省会がつき物ですよね!反省会といえば、もちろん、一杯・・・となるわけでして、特に沖縄、いえいえ宮古島の場合、それが大酒盛り大会となるんです。
「おとおり」といえば・・・宮古島の風俗習慣なのでありまして、その「おとおり」に来いとのお達しです。
↑「おとおり」の様子です。立っている男性が今口上を述べています。わたしは初めて行ったのにもかかわらず、長々と並べられた長テーブルの真ん中に座らされてしまいました!会場には30人位の関係者が、そしてご父兄の方々は入れ替わり立ち代りのご参加でした。
研修会で知り合ったというたったそれだけの理由で、その反省会なるものに参加することになった訳なのでございます・・・。
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とある研修会場で声を掛けた●●●学園からの参加者は、やはり宮古島からでした。彼女は様子もわからない土地で心細くしていたらしく、「声を掛けてもらって嬉しかった・・・」とこっちが嬉しくなるようなコメントをいただき、翌々日にはビールでエールを交わしたわたし達でした。
そのS嬢とすっかりとお友だち状態になったわたしは、研修修了の翌日、宮古島へ旅立ったのでありました。
今回の宮古島には、沖縄本島で仕事をしている末子と合流しての初めての親子旅行。息子が幼かったときには、夏になればキャンプだの、子ども達のグループでの活動と、それこそいっぱしの親気取りで(まあ、親なんだけれど)子育てを楽しんだわたしでもあるのですが、さすがに中学生になってからはさっぱりとしたもんでした。
ですから、こうした機会は本当に10数年ぶりのことで・・・。親としてはちょっとばかり、嬉しかったです。夫も口にこそそのことはしてはいませんでしたが、内心嬉しかったらしく、息子の乗った飛行機は無事に出発していだろうか・・・と、珍しく心配している様子でした。
飛行機から見える宮古島の海岸線は、いつものように蒼く、少しばかり白波が立つおだやかなものでした。
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おととい書いたことの答えを書くのを忘れていたので、今日はそれをお届けすることにします。
え??お忘れですか?ほら、あのかわいらしい、シマゾウリ。ビーサンじゃあないんです。沖縄の中で島の人が良くはいているのが、・・・シマゾウリといわれる、まあ、ビーサンなのですが、島の人にとってはシマゾウリでしかありません。
ビーサンなどというたわけたものとは違うんです。
何の変哲も無い、ただのゴムぞうりなのですが、これが沖縄のビーサンの定番。因みにお値段はところによってかなり違いますが、300円から400円です。最近の宮古島のコンビにで、これを2000円位で売ってました。これではただしいシマゾウリとはいえません。
あくまでも島の生活水準でモノを売らなくてはいけませんよね~。都会から来た商売感覚、というか観光客目当てなのでしょうけれど、島の人はそんな値段をだして、このシマゾウリを買うとは到底思えません。
さて、「正しい」シマゾウリの定義とは・・・?
そうです、じゃ~ん、さてもごらんあれ!!
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仲原鍾乳洞の勝美ちゃんのところへ行く道すがら、今回はすごい「看板(?)」を発見!!
それも・・・生看板なり。
8月に宮古島へ来たときにもこの道を通っているけれど、気づかなかった。もしかしたら、あの時には「生」の部分がなかったから、今回ほどの衝撃はなかったのかも・・。
じゃ~ん、「生看板」
どうやら、これはこのあたりの食堂の看板らしい・・・。
横に立ててある木の看板を見ると、 「丸吉食堂」と書いてある。
そして、この山羊くんには名前もついている。木の看板に●●くんと書いてあったのだが・・・、忘れてしまった(ーー;)
携帯カメラしか持っていかなかったので、画面に入りきらなかったんです。もう1枚撮っておけばよかったけれど、撮らずじまい。
立派な角を生やしているからオスなんだろう。でも、こうして日がな一日太陽を身体に浴びてずっとここにいるのだろうか?それにしても立派な角だ。
傍らには水の入っているらしい入れ物もおいてはあるが、それにしても暑いだろうなぁ~、ふさふさとした毛をまとっているわけだからさァ。
勝美ちゃんに言ったら、きっと「うわ~、おいしそう・・・!」というかも。でも、これだけデカイからだの山羊の肉は硬いのだろうか?あの角の大振りさ加減からするときっと、長老?
そういえば、勝美ちゃんのところでは前は山羊を飼っていた。一昨年に行った時には赤ちゃんがいたけれど、その次に行った時には母ヤギしかいなかった。
どうしたのか尋ねると「盗まれたさァ」というではないか。
「え゛~?盗まれたの?ヤギが?」と再び問うわたしに「大きく育てて食べるンかな?」だって。
↑今は亡き・・・(?)赤ちゃんヤギの遺影
宮古島では(というか沖縄では)ヤギ汁というのを食べるのですが、それにしても・・・あのいたいけな赤ちゃんヤギを、食べる為に盗むなんて・・・、なんていうヤツラだ!と憤慨するも、またその次に行った時には、残されているはずの母ヤギの姿も・・・。
「また盗まれたの?」と静かに尋ねたわたしに向かって、勝美ちゃんは・・・。
ああ・・・宮古島!
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年を取ったせいか、早朝覚醒の日々です。さあ、
朝飯前に一仕事といきますか・・・、宮古島なもの(?)をこれからUPしていきますね!
これはあまりよく見えませんが、仲原というところの畑の中にある「鍾乳洞」の建物です。宮古島へ行くと必ず立ち寄るスポットなんですけれど、巨大な鍾乳洞があるんですよ~。
鍾乳洞は撮影禁止。鍾乳洞内に光が入るのは鍾乳石に影響が出るのです。人が入るときだけ灯りがつきます。その灯りの周りには緑色に苔が生え
ているんです。ちゃんと光合成をしているんですね。
そこのヌシが勝美ちゃん。お兄ちゃんと一緒にこの鍾乳洞を切り盛り(?)している。といっても、実家の本業はキビ農家、勝美ちゃんはそこの長女。
勝美ちゃんの家の畑にある鍾乳洞を、泡盛の貯蔵倉として公開しているって言うわけなんです。宮古島にある有名な泡盛の蔵元である「多良川酒造」に以前は貯蔵庫としてこの鍾乳洞を貸していた時期もあるとのことです。今は「仲原鍾乳洞」として貯蔵庫(天然の古酒どぅくる)として洞窟内に泡盛を預けることができます。
わたしも2本いれてあります。世界に一つだけのマイクース(クースとは、泡盛の古酒のことです)を熟成しているというわけです。
とっても素敵な空間をもつこの鍾乳洞、30万年も前につくられたものとのこと。ちゃんと調査もされているということです。
皆さんも宮古島へ行かれたら、この「仲原鍾乳洞」へ是非!!
東平安名崎へむかう海沿いの道を走ると、赤地に白い字で「鍾乳洞」という小さな看板が立ってます。
畑の中にぽつんぽつんとこの手の看板が立っているので、それを頼りに辿り着きましょう~!こんな冒険があるのが旅なんだと思いますよ~。
かわいいでしょう~?
もちろん、この「しまぞうり」わがものに・・・。
今回、宮古に行ったら島の人に「しまぞうりじゃなきゃ、だめでしょォ~」とお叱りを・・・。
ビーサンとシマゾウリは、ちがうさぁ~!
さあ。正しいシマゾウリの定義とは・・・?ごぞんじですか?
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連日の資格試験に疲れたので、帰り道に新梅田食堂街に寄ってみた。
昼を食べ損ねたので激烈にお腹が空いている。お目当てのところは未だ開いていない。しかたなく(でもないけれど)まずは「マサラ」に行って、マサラカレーを注文する。
スパイスの効いたマサラカレーを一気に食したのはいいけれど、少し小腹が落ち着いた程度。
どうしようか・・・と迷いつつ迷走すると、お目当ての「きじ」が!!
ま、いっか!食べちゃお~っと。明日はきっと公開するに違いない。メタボ。
でも・・・、5時半から生中とモダン焼きを一気に頂いてしまいました~。
牧原似の大将が焼いてくれた(それまでは従業員のお兄さんが焼いていたんですけれどね)モダン焼きを食べながらいつもの癖でインタビュー。
「大将、毎日何枚くらい焼くんですかぁ~??」
↑新梅田食堂街にある「きじ」の看板です。皆さんも一度はいかがでしょう?お薦めです!!
すると牧原似の大将は、ちょっとばかり面食らったみたいにお目目を丸くして・・・「う~ん、一概には言えへんけど、お客さんは200人くらいいるから、まあ400ってことはないけど、300とか400ってことあるんちゃうかなぁ~」
1.5cmくらいある厚い鉄板に付きっ切りで毎日お好み焼きを焼いているわけだけれど、「すごいですねぇ~」と型どおりのことしかいえないわたしに「焼くことしかでけへんしな・・・」と、やや自嘲的なお言葉を頂きました。
帰り際に大将から「よかったら、またどうぞ・・・」
そうですね、またそのうちに行きますっつ!!「きじ」
↑「きじ」のモダン焼き。何がモダンなのかは、不明。
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このところお天気があまり良くない。暑さは少しだけ凌ぐことができるが、それでも湿度は相変わらず高いので、そうそうは気持ちのよい空気でもないというわけだ。
毎日がこんな風だとついつい宮古島のことを思う。さっきも買い物に行った先で「あら~、水野さんまた沖縄でしたか??」と言われた。
←宮古島で見た面白い雲
まあ、そういうことなのだけれど、これもまた微妙ではある。確かにこの間は宮古島へ行っていたことで、程よく焼けてはいるのだが、下地はまさに生来のもの。
つまり、わたしは地グロなのであ~る。
京都のひとたちはとても色白が多いようにお見受けする。かくいうこのわたしでさえ沖縄へ移動した友人に言わせると「すっごく色が白くなったわねぇ~」なのだけれど・・・。
彼女いわく、「きっと京都の水がいいからよ~」。
確かに自分では(もちろん、今回の宮古島で焼ける以前の話だが)前よりも白くなっているような気がするのだ。それに加え、皺が余りというかほとんど無いことも実はホント。
造作は・・・う~ん、いささか筆舌に表しがたいものがあるが、年齢からすると皺は無いとおもう。まあ、かろうじて有難いことではある。
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なんとなく忙しいのと暑いのをいいわけにして、さまざまなことをサボっているのです。
このブログを読んでくださっている方々、ごめんなさい。
宮古島のこともUPする気力もなく、ほとんどグータラの日々。これではいけない・・・!と奮起しようにも「あ゛づい゛・・・」の一言に尽きるのです。
クーラーは嫌いなので極力つけないのだけれど、さすがにそれでは夜眠れない。で、夜だけつけているのだけれど、そうすると喉が痛くなり、体の調子が悪くなりどうやら夏バテ??
気力体力ともに減退。かといって、食欲もそうそうあるわけでもなく、ほそぼそと暮らしております。
ということで(どういうわけだかわからないけれど・・・)、せめて・・・、宮古島の風景を・・・。(と、何度も同じような言い訳しています)
←西平安名崎にて・・・
昨日は松栄堂のお香を燻らせて、まったりと気をとりなおそうとしましたが、いかんせんこの温暖化の影響か、マンション自体が暖められていることや隣のマンションの照り返しで、部屋の中もまだ31度あり、体が休まりません。
皆さまもどうぞご自愛のほど・・・。
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はぁ~、宮古島から帰ってきたのはいいけれど・・・。。
それはいいのだけれど、身体は帰って来ているのですが、こころがいっこうに京都に帰ってきていない感じなのです。
ということで、この数日をぼんやりと過ごしている天鈴花です。しかもその状態で仕事をしなくてはならないという酷な状態に、困惑しています。
とはいえ、宮古島の風景だけはとにかくお伝えしておきますね~!
宮古島の島内によく見かけるいつも困っているような顔をしているお巡りさんです。
今のわたしはこのお巡りさんの状態かも・・・。
はぁ~、あのエメラルドグリーンの海が恋しい・・・。
そして・・・
せめて画像で味わってくださいねぇ~。
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一年ぶりの宮古島でしたが、一年行かなかっただけで宮古島は様変わり・・・!びっくりしたこと連発。
たった今帰宅したばかりなので、また追って宮古島報告をUPしますねぇ~。
でもひとつだけ・・・、那覇空港で平田オリザさんを見かけましたよ~。
彼の主宰する「青年団」という演劇グループを皆さんご存知ですか?平田さんはとても不思議な舞台演出をする方ですよ~。
肖像権のことが気になるけれど、有名人なので・・・平田さん、ごめんなさい!
平田オリザさんとは、教育運動「BASIC」の合宿でお世話になったことがあるんですよ~。山梨県勝沼にあるお寺での合宿でしたが、その時も不思議なトレーニングをしました。
今では懐かしい思い出になってます。
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所謂、「祇園祭」を終わった感ある京都だが、まだまだ続いています、祇園祭。
そもそも、この祇園祭、祇園御霊会が本質。そして、観光の目玉である山鉾巡幸は町衆の祭。従って、ホンチャンの御霊会は本日の「還幸祭」をもって、神さんが鴨川を渡って町にお出ましになっていた期間を終え、ご本殿にお帰りになることでいよいよ終りに近づいているということなのでございます。
今日24日には花傘巡幸が午前10時~、そし還幸祭がそれこそ、今行われている最中なのでございます。
わたくし今宵の暑苦しさに・・・風を通そうと部屋のドアを開けましたところ・・・なにやら外がにぎやかしく、また、暴走族たちが・・・と思いきや・・・なんのなんの、そうだ!!今夜は還幸祭だった!!とはたと気づきまして、そのまま鍵と携帯を手に持って外に飛び出した訳でございます。
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祇園祭の最大イ
ベント、山鉾巡幸の日です。現地ルポと銘打ったこのブログですが・・・すみ
ません、仕事で巡幸は見ることができませんでした。
朝の通勤直前の御池通りの様子をお届けしますね。
朝8時10分位の御池どおりには、すでに陣地を確保した方々の姿あり。
はたまた・・・、有料席の近くにも・・・。
朝早くから、ご苦労様ですぅ~。
ふと、地下鉄に乗る前に空を見上げると・・・おんやぁ~、お験が・・・。
気をよくしてお仕事へ・・・。
それから今夜は「哲学カフェ」が開催されるので、夕飯を外食で済ませてそのまま、北山へ。
今夜のテーマは「いのりとは何か」。会場は京都ギリシャ・ローマ美術館。
個人の持つ美術館です。京都へお越しの際には一度は訪れるとよろしいのではないでしょうか?
ということで、帰宅はついさっき。
そして・・・、地下鉄から降りて地上に上がり、はたまたふと空を見上げれは、ほぼ満月のお月様。そして、そのお月様の近くには火星か木星が・・・。
よく考えたら、明日は月齢がジャスト15.0の満月。
お月様の周りには虹のような光がありましたよ~。
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今夜は祇園さんの宵々山・・・だというのに、梅雨明けの(?)夕立で外は雨。
ところが、そのワリには人出はたいしたもんだ。浴衣姿の人が沢山でている。こういうときには雨は余り関係ないらしい。
仕事帰りに四条で地下鉄を降りて、歩いて帰る道すがら、いくつかの山や鉾を見て歩いてみた。
←長刀鉾も雨に煙っている・・・。
さすがに灯りがともるとこの世とは思えないほどの幻想的な風景と化す。もちろん、沢山の
人は出ているに違いないのだが、あまりそうした人波は気になることも無く、山や鉾に憑くだろう神さんのことに思いを馳せる。
そんなこんなで、今日もまたビールを飲んでしまったのだ~。明日も仕事だというのに・・・いかんいかん・・・。
←遠くに見えるは・・・「鈴鹿山」なり・・・。
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お使いのついでに、鉾町の様子を見に行ってみた。
函谷鉾はすでに立てられていたが、月鉾と菊水鉾はこれからといったところ。
まわりには鉾につかわれる材木というか、太っとい木が横に置かれている。
これを横に渡せば、骨組み全体は完了なのだろう。そして、美しい懸装品が付けられるという段取りの筈。
因みにこの菊水鉾の「ちまき」は1万何千本を作るのだそうだ。昨日はこの「ちまき巻き」が
あり、鉾町内や関係者でちまきが巻かれたそうだ。
大きなお店のある鉾町は、こうしたことで町衆の責務と言うか、気概を感じているらしい。このような由緒あるお祭に住人として参加できることって、きっと誇りに違いない。
街中にしては珍しく、鉾町内にあるマンションの住民も例のちまき巻きを手伝っていたという。たいしたものです~。
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「夏越の祓え」の今日、初の奉納を体験した。
ところは、大阪府高石市羽衣にある、「大鳥羽衣濱神社」という神社。
両道入姫神(フタジイリヒメカミ)という聞きなれない姫神さまがご祭神という。昔は浜であっただろうという感じは境内脇の駐車場にある大降りの松が潮風に吹かれて傾斜しながらも耐えて生えていることからもイメージできる。
古式ゆかしそうな神社ではあるが、その故事来歴は全く伝えられていないという。古文書等も一切残されていないようであるが、ご神木を見ると大変立派で、かなりの歴史を持つらしいことくらいは容易に見て取れ、神々しくもある。
こうした神社で、わたし達4人は初の奉納稽古をさせていただいた。
メンバーは・・・舞:ミナルさん 謡い:さっちゃん&わたし 太鼓:りえさん
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ふと気づけば、昨日今日は京都にサミットの外相が来ているのであった。
それで昨日も今朝も朝早くから、ヘリの音がパタパタと聞こえていたんだわぁ~。
一昨日の夕方所要があって、木屋町界隈にチャリで出掛けたときも、警察官たちがまとまって歩いている姿がやけに多いなあと思っていたのだが、そういうわけかぁ~。
市役所前の広場には大阪府警から来たと思しきバスが数台駐車してあって、ものものしい雰囲気だった。
しかも午後からは地下鉄烏丸線では人身事故があって、全線ストップと相成った。
修学旅行生たちには気の毒ではあるが、サミット当日にこうした事故が地下鉄で起こるなんて・・・。何かの因縁??
かくして、今日のMyサミットデーは疲れ果てた一日となったのだった。
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今日は丁度下弦のお月さま。バランスの良い時期なので(?)昨日は映画を観に出掛けた。というより映画感謝デーの日だったので出掛けただけなのだけれど・・・。
今は戦時中か?と見まごうばかりのコスプレ集団があまた参集するあの空間は、いったい何だ??
この映画を見ていると、どうしても考えざるを得なくなる。
「戦争」とは一体何なのか??そして・・・「平和」とは?「にんげん」とは・・・?
「中国へ帰れ!」と青年を罵倒する中年代性。そして、的外れなことを言いながら星条旗を掲げているアメリカ人。そのアメリカ人に訳も無く「がんばってください」と握手を求めるおろかな日本人たち。
靖国にいるとされている死者たちは、こうした風景をどんな思いでご覧なのだろう。合祀されているという魂は本当にそこに居られるのだろうか?そんなことを思いながら観たこの「靖国」。都会の喧騒の中に位置するこの神社は、これからどこへ行こうとしているのだろう。
国家神道の亡霊のようなこの神社を通して、「日本」を考え直すきっかけとなるのに、マチガイナイ映画だ。
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ふと気づくと今日はもう15日。そしてまたふと気づくと今日は百万遍の手づくり市ではないか~!もしかしたら・・・京都市役所前でフリマやっているかも・・・。
夕べのワインとビールがきいたせいか、思わず寝坊をしてしまって目が覚めたのが7時半。おかしいなぁ~、いつもの目覚ましは5時半に確か鳴っていたような気もするが・・・。お休みの日にはまあまあ気は緩んでしまう。
もっとも正しい社会人をしているわけでもないのだから、日々の暮らしもそう緊張度はないのだけれど、たまのアルバイトがある日にはこんなわたしでも少しは緊張する。
気を取り直して朝のお作法を執り行い、土曜日から片付け始めたものの始末を朝からして、今日はお線香とライターをゲットしに(あるのかなぁ~?)京都市役所前フリーマーケットへでかけることにする。
百万遍の手づくり市にいってもよかったのだが、あそこまで出掛ける元気がなかった。
梅雨空には程遠い上天気。朝から日差しが厳しい。そんななかをあんな人ごみの中へいく勇気はさすがになくなった。
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なぜか分かりませんが、NHKの特番「日本の、これから」に出演することになりました!
今日、7日(土)午後7:30~10:30までの生番組です。これから渋谷のNHKへ赴きます。
地球温暖化をどうする?と言うテーマです。
どうする?ったって・・ねぇ~。
一番効果を上げるには・・・この地球から人間がいなくなればいいってだけのことなんだけど、まあ、そんなことは出来ないから、・・・具体的にはどうしたらいいんだろう・・・。
でも、人類滅亡へ繋がることなのだろうから、今何かをしておかないと・・・次の世代は生きられなくなるかも・・・。
でも、あまりリアリティは感じないですよね?
『人類滅亡』
だからこそ、問題なんだ!
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橿原神宮へ向うバスの車窓から「飛鳥寺」の文字を見つけ、急遽下車。
ここは日本最初のお寺とのこと。
なんと今年はその飛鳥寺の本尊である飛鳥大仏(金銅丈六釈迦如来像=日本最古)が開眼されてから1400年に当たるとか。
「め~っけ(み~つけた)!」とこの仏像と出会ったのがそうした記念すべき年とは、これまた奇遇・・・と気をよくして、拝観。
規模は確かに小さい。仏教が大陸から伝えられ、初めてこうしてお寺が建立されたということがひとの営みと言うサイズで感じられる。
だが、それは違っていた。かつてはここに大伽藍が建立され大きな大きな都の要であったようだ。その大伽藍も大火で焼失、一部は都遷都とともに移築され、最終的に残ったこの寺も再建されたものとのこと。
建立時は脇侍のある黄金色の釈迦三尊像だったが、いまや往時を偲ぶものは唯一この金銅仏(黄金は大火で解けてしまい、銅の本体だけ奇跡的に残っている)のみらしい。
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太子の湯から出るとそぼ降る雨。温まった身体にひんやりとした空気が心地良い。
しばらくすると村内を経巡る「亀バス」が到着。勢い高松塚へ・・・。
高松塚古墳は資料館などを含め、一体が公園になっている。ひろびろとした風景はどこかに似ていた。よく考えると・・・奄美大島の何とかイウ公園に感じがよく似ている。ふと奄美の光景が目に浮かぶ。
だが、ここはヤマト。奄美であるはずは無いのだが・・・太古の昔、ヤマトと南西諸島のつながりがあったということをふと思い出し、共通する香りを感じる。
高松塚古墳へ・・・。
レプリカのある資料館はこじんまりとしたところで、何となくほほえましいサイズでほっとする。
巨大なスケールで展示されるより、このほうがずっといい。
高松塚古墳はグランドシートで囲われ、肝心の古墳の様子はわかりようも無かったが、丘陵地を利用した入り口の感じは見て取れる。
高台にあったと思われる高松塚古墳、今でも墓地は高いところに作られることが多いが、太古の昔も慰霊には高さが必要だったのだろうか・・・?
そんなことを思いながら・・・はて、次はどうしたものか・・・と思いつつバス停へと戻るのだ。
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亀石の風景をこの目で確かめているうちに、にわかに雨模様に・・・。
いかがしたものか・・・と思いつつ、バスの窓から見えていた「太子の湯」を思い出す。歩きつかれた体をちょっとだけ休ませようと、畑道をショートカットして、急遽立ち寄り湯をすることに。
「太子の湯」というからには、聖徳太子に関わりがあるに違いない。確かに近くには太子建立とされる「橘寺」がある。
聖徳太子といえば、そう、蘇我馬子らとともに物部守屋を倒した側。張本人は蘇我馬子だが、太子が後ろ盾であったことには間違いない。
うう・・・ん、はたまたいかがしたものか・・・。
そうはいっても、今のわたしにはお休みが必要、とわけのわからない脈絡で、勢い太子の湯へドボン!!
「ああ~、いいお風呂。」
しかも、お風呂の中にはTVまで設置されていて、ゆっくりはいれるようになっている。でも、お風呂に入りながら何もテレビまでみなくてもいいんじゃない?お風呂に浸かっている事がゆっくりなのになぁ~と微妙な気分。
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『天上の虹』という漫画がある。里中真知子さんの作品で、持統天皇の物語だ。
持統天皇と言えば、そう
『春過ぎて 夏来るらし白妙の 衣干すてふ 天の香具山(万葉集巻1雑歌28)』
のあのお方。
なんと!(言いたくはないけれど)わたしと同じ58歳で没している。
さて、飛鳥村内を周回している「亀バス」に乗り、石舞台から次なる場所「天武・持統天皇陵」へ。
道を挟んで向こうに見えるこんもりとした丘のようなもの。それが御陵だが、よく見るとその裾には畑が耕され、なにやら人影が・・・。
この御陵は盗掘にあい、中を確認することが出来ているため確実に「天武・持統天皇」の御陵というそうだ。
こういったことを考えると、盗賊どもは後の歴史に貢献(っていうのかな?)しているともいえる。万事『塞翁が馬』なのかも・・・(?)
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朝早くに明日香村に着いてしまったわたしは、さっそくバスに乗り込み飛鳥資料館へと行き、あっという間に壁画にご対面した訳なのだが、いかんせん気が抜けるほどの「楽勝」見学だったものだから、朝飯前仕事となったということのだ。
再入館と言うわけにもいかず、写真展示や常設展を見たりしたものの、そんなものはすぐに見れてしまい、外に出るしかない。
ここはかなりの肝いりの資料館らしい。庭はよく手が入れられていて美しい。また、明日香村に点在していた石の像がまるで近代美術作品のように据えつけられている。
どうやら須弥山に見立てた噴水の装置(!)らしいが、どうみても男根だ。古代のひとびとはおおらかだったんだなぁ~、いやいやひとと言うものはそういうものなのか・・・などと想像をたくましくしながら、そそり立つその男根、いやいや、塔をまじまじと見たのだった。
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25日が最終日だから必ず人が押し寄せるだろうということ、24日はお天気が悪そうだということで、24日は絶対に穴場と勝手に決め込み、一番列車(地下鉄だけど)に乗って、行ってきました明日香村。
朝4時半起床。気もそぞろに出掛ける支度をし始めるが、今朝のお作法はお休み。気もそぞろでも毎朝のお作法をちゃんとした方がよいと思いつつ、「ま、いっか・・・」とおサボり。ごめんなさいわたしの「something great」さまたち。
急行
橿原神宮行きに乗り、1時間10分ほどで橿原神宮東口に降り立った。駅の改札でバスの一日乗車券をゲット。結局これを買ったことがラッキーであったことが、ほぼ一日明日香村を過ごしてから分かるのだ。
いずれにしても、人がたくさん出てくる前に飛鳥資料館へ行かねばならぬ・・。とはいえ、なんとしてもバスが来ないことには自力では辿り着けそうにもない。レンタサイクルの店も朝早くには開いてない。しかも空はどんよりとしている。
まあ、レンタサイクルよりバスがよかろう・・・とフンではみたものの、バスは一体いつくるのやら。事前にインターネットから取り出しておいた資料によればあと10分ほど待てば来るとはおもうのだが、なにぶん見知らぬ街のこと、本当にバスはくるのだろうか・・・?ちょっとだけ不安がよぎる。
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地下鉄の中吊り、近鉄の中吊り・・・もろもろの公共交通機関の中吊りにいやに目につく3つのカタカナ文字。
「キトラ」
うう・・・、行きたい!!
週末が公開ラストデーなのだ。きっと混むんだろうけれど、行きたいよぉ~。
そうだ、「キトラ」行こ!って調子で行ってみようかなぁ~。
「公開までに1300年かかりました」・・・ってキャッチフレーズだった。
1300年の眠りから覚めさせられていい迷惑なのだろうけれど、文化庁さんのちょっとした不手際によって、日の目を浴びることになったこれらの描画。
折りしも今年は「子」年。
その年に「子丑寅」が公開されるということの不思議なご縁。
天も粋なことをされるのだ。
やっぱ、行ってみよぉ~っと!
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週末にさる研修が修了した。
ぐったりと疲れて帰ろうとしたその視界に、都内で研修の仕事を一緒にしたことのある某氏の歩いている姿が飛び込んできた。
彼女が大阪にいることは承知していたが、まさかこんなところで出会うとは・・・。
早速声をかけると、今日は研修講師たちの会議があったらしく、他にも同じような感じのお二方と今から帰るところなのだという。
挨拶もそこそこにわたしの方に話題を振られたが、ちょっとめんどくさかったので失礼して、大阪城への道をレクチャーしていただいた。
歩ける距離らしいことは知ってはいたが、ほんとに歩ける距離のところにわたしはいるらしかった。
で、さっそく言われたようにおりこうさんに歩き始めたのであった。
まずは高速の下の道にたどり着くと、ここは「天満橋」
そうか・・・、「天満橋から~♪」っていう歌があったけど、天満橋ってここなんだぁ~と新しい土地との出会いに感激!
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そういえば今日は葵祭の日だった。と気づいたのはついさっき。
アルバイトの帰り、阪急の改札口ちかくに「葵祭」のポスターを発見!
「そういえば今日は15日だったなぁ~」と思い出し、「そうか葵祭ねぇ~」ということで納得。
でも、15日といえば百万遍の手づくり市の日でもある。今日あたりは絶好の観光日和。さぞかしや百万遍あたりはごった返したことだろう・・・。
人いきれと言うか雑踏の中で手づくり品を選ぶのも至難のワザだ。それでもいってみると必ずと言っていいほど何かを手に入れたくなる。
欲望がそうさせるのか、その場がそうさせるのかわたしにはわからないが、それでも大勢の人はそれぞれ吟味したものを手にして、顔はにこやかに戻っていく姿がたくさん見かけられる。
ひとがたくさん出ているのを見ると、この世の暮らしを思う。
日々の暮らしのなかでこうして交流をすることはほとんどないに等しいが、こうした仕掛けがあれば、交流が生れてくる。
「市」とはこうした交流の場でもある。ひとと人とが出会い、そしてひとと物とが出会う。そこにはある意味での信頼をベースにした行き交いが生じている。
いつものようにいつものものを手にするその人は、きっとそのものを通して売る人との交流を続け、そしてまたそのものを手に入れに、そこへ赴くのだ。
目の前には見えない相手を、目の前にある見えるものがつないでいる。
ところで・・・、いったい「カミ」と「ひと」とはどのようにして繋がっているのだろうか・・・。
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野暮用で自宅に戻る新幹線の中でのこと。
自宅と京都月に一度往復しているので、エクスプレスカードのポイントが溜まる。そこでグリーン車に乗ってみることにした。
何時だったか以前一度だけ乗ったことがあったが、こうしてまた乗ってみるとJRのサービス低下が如実に判明する。
すっごく前に乗ったからそれを今と比較するのはいかがなものかと思うけれど、前には確かお手拭とウーロン茶がサービスで出ていたような気がする。
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毎月1度なのだが、大学院生たちの研究会に入れていただいて、それに参加している。
その名も「宗教臨床研究会」。耳慣れない会の名前だけれど、内容は実に濃いのだ。
彼らは心理臨床に携わりつつ、現役の大学院生として学んでいるわけだが、その世界でも特に周縁に住む人たちに関心をよせているメンバーたちでもある。
周縁、これも耳慣れない言葉だ。
いってみれば、それはマージナル、つまり隅っこに追いやられたひとびとのすむ世界とでも言ったらいいかもしれない。そして彼らはそこへの眼差しを持ち続けているといえるメンバーたちと言ってもよさそうだ。
彼らはそうしたマージナルマンたちに関心を寄せ、心理臨床に訪れるクライアントと呼ばれる方々の歩みに同伴している。言って見ればともにマージンを生きようと覚悟を決めている人たちなのだとも言える。
心理臨床にあると、クライアントと言われる来談者たちの語りに所謂宗教というのではないのだが、個人宗教のような香りを感じることが多いのだという。
その意味でわたし達は個人の宗教を生きているといってもよさそうだ。生きる上での自分の原理に従って生きているということは、つまりその個人の生きざまそのものが宗教性を帯びているといってもよいのかもしれないのだから。
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一燈園というところが京都にある。詳しいことはインターネットHPに出ているのでご覧になってほしいが、そこで生活する人たちをときどき京都市内で見かける。
ごく普通の人たちだが、他の人と変わっているのは左手にバケツを抱えているところだ。
そう、バケツでおトイレの掃除に歩いているのが一燈園のお仕事。お仕事というか「六万行願」という修行とのこと。
西田天香ご夫婦で始めたこの修行、そうした活動を通して争いの無い暮らしをめざし、しいては世界平和へ繋がるよう、その活動自体を「祈り」としているということのようだ。
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落前日の29日そう、かつての「天皇誕生日」に行ってきました~。
何を着ていこうか思案した挙句、やっぱりなにも気取ることも無かろう・・・と一番落ち着く姿でいったのですけれど、中にはお召し物のすばらしい方からジーパン姿まで、ほんと人様々。
甲部歌舞練場というのは、花見小路の奥にあって、まるで歌舞伎座のような(おおげさ?)立派な建物だったですよ~。
外国の観光客らしい人もいましたし、常連さんのような方までこれも様々。
中には
子供連れもあり、文化を伝承して行くことへの母親としての配慮が感じられ、やっぱり日常的にこうしたものに触れておくことがこんなにたやすく出来ることが文化度の厚みになるんだろうなぁ~と思いましたよ。
京都の「暮らし」に脱帽といったところでしょうか?
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明日は生れてはじめての「都をどり」観賞。楽しみだけれど何を着て言ったらよいのかいまひとつ見当がつかない。
着物・・・と行きたいが下手なものを着ていけばボロがでるし、第一そんな良いものは持ち合わせていないので着ていきようもないのだけれど・・・。
かといって、ジーパンもあるまい。
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昨日は恒例の貴船さん参りのあと、ふと思い出して百万遍の「手づくり市」に立ち寄ったのだが、そこで丹後ちりめんのストールをゲット。
お月様の満ち欠けをモチーフにした毛色の変わった手づくりのストールだったので、気に入って買った。で、今日はアルバイトで出掛けるのでオハツで首に巻いていった。
↑鴨川沿いは菜の花畑
・・・・、ところがである。
生来のおっちょこちょいというか、集中度の無さというか、電車の到着にあわてて飛び乗ったはいいが・・・、「あ゛・・・・・滑り落としちゃったんだぁ~」と気づいたのは、既に電車が出発して10秒後。
たしかに鞄のポケットに突っ込んだつもりだったのに、例のスカーフが無いことに気づき、あちこち探したがどうにも見当たらない。で、いすに腰掛けて電車を待つ間、スケジュールを確認しているうちに、鞄のポケットから出し入れしているのがわずらわしくなったのだ。そして、それを膝の上に置いたのが禍したらしい・・・というとこに落ち着いたという訳なのだ。
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桜の花は散るばかりだが、御池通りにある「御池桜」はいつも頑張っている。
冬桜なのだろうか、かなり寒い時期から、もちろん今もだが頑張って花をつけているのだ。
この花の由来を知りたいところだが、どこに聞いたらよいのかトンと見当がつかない。
きっと教育委員会にでも伺えば教えてもらえるのだろうが、そんなことをせずに「ものがたり」を紡ぐのだ。
京都御池中学校が小学校や介護デイケアーの複合施設と併設されて大きな建物になり、御池通りに新しい建物がお目見えしてからずっとあるのだから、恐らくあの複合施設が出来る前からあの隅に植わっていたに違いない。
昨今、自然との共存がさけばれるから、きっとその桜木は切られずに命拾いをしたのだ。
この桜は何人のひとが愛でてきたのだろう・・・。冬桜らしく花自体はしっかりとした感じの花びらをつけている。
ソメイヨシノのような華やかさは無いし、ボタン桜のようなあつかましさもない。どこかこじんまりとした小さな花なのだ。
きっとこの桜はちょっとだけ恥ずかしがりやで、ただただ季節の移ろいを感じながら毎年のように花を見せてくれているのだ。
なぜなら、すぐ横はイタリアンのお店のオープンCaféなのだ。
桜の木下にワインやパスタはどうだろう・・・。
それでもどんな外国の食事をしながらも、きっと誰しもが「綺麗な桜ねぇ~」と思うに違いない。
もうワインが入っているカップルは「もしかしたらこれって桜じゃないんじゃない?」なんていうかもしれないし、その木があることにすら気づかずに、ただただお互いを見つめあうだけなのかもしれないなぁ~。
ああ・・・桜よ、今日はちょっと冷えしてはいないか?
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今日は旧暦の3月3日、そう「ひな祭り」。そして沖縄では「浜下り(はまうり)」の日です。
月齢は2.0。一昨日の新月からすでに少しだけ太り始めているお月様。
今日、なにげなく旧暦カレンダーに目をやると、「え゛~、今日じゃない!!」とあわてたわたし。
だってね、この間久高島へ渡るときに安座間港の食堂にいるナビぃさんから、旧暦3月3日から「ミルク世ぅ(みるくゆぅ)」に入るということを聴いたんです。で、「いままでの自分を卒業してサア、新しい世を迎えるのだから、それに向けて残す時間をちゃんと準備しなさいねぇ~」といわれていたから。
「ミルク世」というのは、沖縄ではニライカナイという常世からミルク神(弥勒信仰といわれている)がおいでになって、この世を納めてくださり、幸せな世の中になるということなのだそうだ。
それまでの「サーカ(つまり仏さま)」の世ではなく、ミルクさまがおわす世になるということなのだけれど、具体的にどういうことになるのかはわたしにはいまひとつイメージできない。
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カミンチュウらしいことはわかったが、それにしてもこのおバァたち、いったいどういう連中なんだろう・・・?
恐らく、いやきっとカミンチュウだとは思うのだが、佇まいがどことなくおかしげで、笑える。
第一顔つきがいい。
最初に車のことでちょっとした辛口の発言があったときには、ひとりのおバァの顔はこわかったぁ~。すっかりその顔におびえてしまっていたわたしなのだが、おバァの言い分もわからなくは無い。
だって、58号線をはさんで向かいにある上り口の駐車可能なスペースに、他の人への配慮の欠片もないようにどっかりと大型の車を横付けしてあるのだから。
おバァたちの言い分はこうだ。
「あんたさ、あんなして車止めたら他の人停められないさぁ、ひとのことも考えなさいねぇ~。」
若いその車の持ち主はさすがに気が引けたらしく、無言でそそくさと立ち去ったのであった。
「あんなして車止めないでサ、縦にとめたらいいサぁ。なんでわからんかねぇ~。」
ごもっともごもっとも、で、わたしもそのおバァたちの車の横に入れてもらえたってわけサ、おバァパワーは有難いわけヨ~。
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夢が訪れた。
しばらくすると沖縄なので、某所でしてくることを夢に聞いてみたのだが、ちゃんとお示しが・・。
ところがである。
肝心の何をしてくるか・・・のお示しを忘れてもうたぁ~。夢は儚くも消えさった。場所だけは確認できたのだが。
どうしたものか・・・と思いながらまだ寝ていたが、(もちろん熟睡)そうしたら<諏訪神社>と来たもんだ。
諏訪神社って各地にいったいどれくらいあるんだ??
第一、京都にあるンかいな?調べても調べても京都にはあらへん。
何かにチラッと出ていたのを頼りに三条東洞院あたりを経巡ってみたが、毎日見ている通りだし、そうしたものがあれば気づいているはずだが、やはり無い。
長野のは諏訪大社だし諏訪神社じゃあないしな・・・。
あ゛っ~!今一箇所思い出した。あるじゃないあるじゃない。わたしの自宅のあるところになんと諏訪神社があることをたった今思い出した・・・!!
月末帰ったらいって見よぉ~っと。お諏訪さまってタケミナカタノ神さんだけど、む゛~、ちがうぞ!これは違うお示しかもね・・・。もうチト考えてみよう。
それにしても今日も一日良いお天気だった。
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明日から・・・久しぶりの沖縄。
去年の8月以来なので何だか不思議な感じではあるのだが、ほんとに行くんだ。
しかもおよそ一週間という長丁場。でも、名護先生がいてくださるから心強くはある。多分何とかなるだろう。
それにしても久しぶりすぎて余りピンと来ない。
でもでも・・・行ってきま~っす!
因みに順ちゃんへのお土産は何と!「生和菓子」
危険極まりない選択ではあるが、食べさせたいのだ。 多分、きっと、いや絶対サプライズ!
しかもだ、鶴屋吉信のだぜぃ!
む・ふ・ふ・・・彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶ・・・。
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5時46分、阪神大震災から13年たった。
あのときの朝、わたしは夫を送り出す朝を迎えていた。食事を終えた夫はトイレにいたが、わたしはまだ食卓でコーヒーを飲んでいた。
部屋の隅にある籐でできたラックの鉢つりがカタカタと鳴ったのを今でも忘れない。
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あっという間に年末となった。
12月31日午後23時59分59秒をたった一秒越えるだけで、新しい年である。
昨日まで流れていた時がここを越えるだけで、新しいステージへと移行することの不思議さ。何がどう変わるのかことばで言い表せたら、どんな風になるのだろう。
先ほどまでのわたしと今のわたしは細胞レベルでも確かに異なる。しかし、わたしはあくまでもわたしだ。
異なるわたしと同じわたしのこの同時性を生きることの意味を、やはり問い続けなくてはないだろう。
昨日のわたしよさようなら・・・そしてあたらしいわたしよこんにちは!といいたいところだが、古いわたしを抱えながらなおかつ新しくなっていくわたしが、始まりの年「子年」をどう生きていくのか・・・自分でも楽しみである。
ああ・・・、それにしても久しぶりの大掃除が・・・大変なんだわ。
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やっとのことで時間ができて、やっとのことで新年までの収録が終了。
このところバタバタと様々なことが生じ、来年へのシフトが確実に始まっている。
来年は子年。サア・・・、事始めだ!
お正月から奄美大島、そして月末には沖縄へフィールドワーク。どういうことになっているのか自分にもわからない。
けど、確実に何かが動き始めている。
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なんとも時の経つのは早いもので、すでに12月。来年の干支であるネズミの声がかすかに聞こえてきそうな時期になっています。
ところで先日の番組で「数字」のお話をしたこと、覚えていらっしゃいますか?
沖縄では「わら算」といって縄を結んで数を数えていた歴史があるということや、ユタさんたちが大切にしている数字があることをお話したのでしたね。
そしてこのところわたしには、111とか1111とかゾロメの1が続いているといったこともお話しました。
実はそのことに続く出来事があったので、今日はそのあたりからお話しすることにしましょう。
先日、友だちが京都に来たので永観堂に行きました。紅葉狩りと称するお散歩です。
その帰り道、ふと哲学の道をいってみようということになって歩いていきますと、「大豊神社はこちら」という看板に出くわしました。
友だちは「わたしは豊受の大神にご縁をいただいているから」といってその神社へ行きたいといいます。
そこで「それでは行ってみよう・・」ということになりました。
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「あきらめきれないこと」って、皆さんにはありませんか?
実はこの「あきらめきれないこと」で、わたしはここ京都に移動してきたんです。
よく「思い切りが悪い」と言われることがあったり、いつまでもあきらめ切れずにいることって、少なからずありますよね。
あの時ああ言えば良かった、もう少しああだったら・・・、そしてわが青春に悔い有りとか、わたしは、今の状態に決して満足しているのではないのだといった風に、何かしら悔やんでしまうことが多いのです。
そんな風にしている自分に気づいているくせに、毎日の暮らしぶりといったら、なにを反省することもなく、いつも同じような行動様式で、すべからくを生きている自分を見ると、ホントにいやになってしまいます。
さて、ここで、どうしてわたしが京都に移動してきたか、そのひとつのきっかけについて少しお話しする必要があります。
いくつかあるきっかけのひとつは「父の死」でした。
父は老人性肺せん癌が発見されてから、一月もしないうちに死んでしまいました。
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高田渡の歌に「生活の柄」というのがある。
京都「清明神社」に咲く桔梗
彼は山之口獏の詩に曲をつけてよく謡ったけれど、「生活の柄」もその中のひとつだ。
「生活の柄」 山之口獏
歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
ところかまわず寝たのです
歩き疲れては
草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ
寝たのですが
眠れないのです
このごろは眠れない
陸を敷いては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き疲れては
草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ
寝たのですが
眠れないのです
そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか?
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて
秋は秋からは
浮浪者のままでは眠れない
秋は秋からは
浮浪者のままでは眠れない
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いよいよ天鈴花が始動・・・。新月の日にあたる11月10日から
天鈴花の「なんくるセミナー」をスタートいたします。
「なんくるないさぁ~」とは、沖縄のことばで「なんとかなるさ」そして「Take it easy」と言う意味です。
わたし達が一番望んでいることは、やはり「安定」「平和」ではないでしょうか?
自分が向かうべきポイントの方向にさえ羅針盤がしっかりと合えば、ひとはなんとか元気に暮らしていくことができます。その軸がぶれたときにひとは不安になるのです。
シンプルにフツーの暮らしをすることさえ、今の時代では難しいことになってしまいました。複雑すぎる社会の仕組みの中で「わたし」という個人が埋もれつつあります。
波立たぬフツーの暮らしは、おだやかなこころをもたらしてくれます。そしてそれが安定(さだまり)となることからでも、人びとの「平和」への道を模索することも可能であるかもしれません。
しっかりと羅針盤をあわせ、星(いくべき方向)を見失うことなく行くことができれば、「人生という航海もまた楽し・・」です。天空にある星々は決してわたし達をうらぎることなく、その道を指し示してくれることでしょう。
古代の人々は「スターナビゲーター」という航海術で自力で太平洋を航海していたそうです。わたし達もそれに習い、降り立つ大地を目指しましょう。
暮らしの中にこの大切な「安定(さだまり)」が生まれますよう、まずは「わたし」という羅針盤を、埋もれた大海(社会)から引き上げる作業(再発見)から始めましょう。
こたえは外側にあるのではなく、既にあなたの中にあるのです。
まずは自分のちからを信じて・・・。
詳しくは下記をプリントアウトの上、ご確認ください。
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こんばんは天鈴花です。
9月に入ってからこの番組も少し趣向を変え、わたしが沖縄で体験した聖なる空間をご紹介しています。
読谷村
さて、 読谷村 那覇市
読谷村
そして、伝統的な「登り窯」がいまでも使われていることでも知られています。
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こんばんは!天鈴花です。
先週からスタートした「沖縄・神界のフィールドワーク」、いかがお聞きいただいたでしょうか?
ところで、京都の街にはお寺さんやお宮さんがたくさんあります。そして路地のそこここには、お地蔵さんの祠がありますよね。お年寄りが静かに手を合わせている姿を度々目にすることができます。
同じように沖縄でもひとびとが手を合わせる姿がよく見かけられますが、その風景は京都とは少し異なります。
それでは、早速今日も「沖縄・神界のフィールドワーク」を始めることにしましょう。
わたしが始めて沖縄に行ったのは、地方新聞社のカルチャーセンターでの仕事でした。
その時の受講生たちとは、その後もお会いすることがあり、次第に沖縄でのネットワークができていきました。
その中のひとり、玲子さんともその講座を通じて知り合いました。
玲子さんは九州出身のウチナイチャーでした。ウチナイチャーというのは内地出身で沖縄に移り住んでいる人のことを指します。
若いころ陶芸の世界に出会い、自分の表現に合う焼き物を探し歩き、最終的にたどり着いたのが、沖縄だったのだそうです。
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こんばんは、天鈴花です。日中の暑さや雲の形もさることながら、夜ともなるとほんの少しだけ秋が感じられるようになりました。
さあ、今日は九月九日、そう「重陽の節句」でした。
そこで今日は「自然と向き合う・神行事」ということについてお話しすることにしましょう
ところで「重陽の節句」ってあなたはご存知でしたか?
古来より奇数は縁起の良い数字とされていて、1/1の元旦、3/3の桃の節句、5/5の端午の節句、7/7の七夕、9/9の重陽の節句をもって五節句と呼ばれています。
そして、一番大きな数字(陽の数)が重なるこの節句こそが、平安時代の初期から宮中などで公式に最も盛大に行われた行事だったそうです。
そもそもこの行事は不老長寿や繁栄を願うお祝いだったそうです。「菊」が祭られた事もあってか、菊の御紋章とゆかりがあるのではないかとさえ思いたくもなりますよね。
ところで、平安貴族たちは重陽の節句に「菊の着綿」(きくのきせわた)といって、菊の花にかぶせた真綿で身体をこすり、健康を祈ったそうです。その際、時の天皇が臣下に菊を浸した酒を与えられ、身体をいたわったのだそうです。
さて、沖縄では行事はすべて旧暦で行われ、同じようにこの「重陽の節句」が祝われますが、意味合いは少し異なります。
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夕方になるとやっと買い物に出かける気になる。暑いせいもあるが、このところ引き篭もり気味のわたしはいやに出掛けることが億劫だ。
とはいえ、昨日のように「お参りの日」となると話は別である。
このところ、日常生活に必要な食料とか雑貨を買出しに行かなくてはならないのが、しごく面倒になってきた。
ボケる最初のキザシは、家事ができなくなってくるとか、お財布の管理が危うくなってくるというが、今現在のわたしは出来なくなるというより、したくないというところ。でもでも・・・、これって出来なくなることの前兆?
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今日は沖縄琉球暦によると、「神吉日」丙申である。
夕べから雨模様だったのでどうかなぁ~と思いつつ、目を覚ますと・・・、おっ!何とか大丈夫らしい。
さて、今日はお参りモードであるぞ・・・とやにわに出掛ける気になる。な~んて書くと全くの思いつきのようではあるが・・・、一応日は選んであった。
根拠はないが今日なのだな。普通の暦からいえば、昨日が「大安」なのだから昨日にすれは良いかとも思うのだが、29と言う数字より30かな・・・などと、全く根拠の無いことを根拠に今朝出掛けることにした。
ところが、マンションを出たらあらま・・・、なんとなく雨模様。
ええーーいっ!行くっきゃない。
と言うわけで、雨の松尾さん(松尾大社)にお参りに行ってきました。
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「京都三条ラジオカフェ」。FM局である。
NPOで日本初の認可局の「京都三条ラジオカフェ」は、コミュニティFM局だ。つまり地域に立脚しつつ、情報を発信している局である。
ご存知だろうか?コミュニティラジオには電波法による制限があって、たったの10Wという細々とした出力パワーで放送しているのだ。
したがって余り遠くまで電波は飛ばない。
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余り見かけない制服だから、おそらく修学旅行?の子どもたちだろう。このクソ暑い京都のしかも、昼日中。
なんと・・・、セーターを着て歩いているではないか・・・。思わず目を疑ったが、さすがに腕まくりはしているにしても、制服と思しきカーディガンをまとい、汗をだらだらたらしながら、帽子も被らないで京都の街なかを歩いている。
エ゛~??!!いっくらなんでも、それはないでしょ?あなたたち、暑くないの????
と、声をかけたくなるようなそのケナゲ(?)なお姿。
規則を破ったって、先生はきっと何にも言わないと思うよ。
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忘れるということがよくある。手紙を出す、振込みをする、予約をする、・・・などなどキリがないが、よく忘れる。
ご多分にもれず、今日も大きく二つ忘れた。
気が付くのが遅い。年のせいもあるのだろうけれど、きっと注意散漫なのだろう。京都に戻ってまだ二日。まだなんとなく身体がこの場所に戻ってきていない感じなのだ。
府立医大での受診、そして傘、その双方に共通するものがある。
「保護」
身体を守る・・医療、そして雨から身を護る・・・傘。
ああ・・・、わたしはこのシンクロをどう捉えたらよいのだろう・・。
そういえば明日は三隣亡。そしてお月様が半分の夜。つまらぬことを忘れさり、まがまがしきものを打ち払い、歩いていくことにしようか。
それにしても・・・暑い。
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こんばんは、天鈴花です。
今年の夏はまさに日本列島が南国でしたね。
朝夕の涼しさは、いったいどこへ・・といった感じです。
さて、京都では16日に「五山の送り火」を終えました。
そして「地蔵盆」を終えると、京都の街は夏の終りを告げるということになります。
そこできょうは、今年の夏にあった、ある一人の若者との出会いを通して考えさせられたことについてお話しすることにしましょう。
「生きる」などと言うことばを使うと、さも小難しそうでストイックな印象を受けがちですが、「生きる」ということは、「暮らし」ということにつきます。つまり、「生きる」ということと「暮らし」とは極めて密接に繋がりあっていると言い換えることができそうです。
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京都に帰ってはきたが、からだがまだ京都に馴染まないまま一日経った。
こんなときは街を徘徊してからだをここに取り戻すに尽きる。
週末ということもあって、京都の町にはひとが溢れている。都会風のイデタチ、それは京都という空間にはかなり違和感がある。
かといって、いまはやりの「京都で着物」という借り物の姿も片方での違和感を模様させる。京都という空間に馴染む姿はなんでもないフツーのシンプルさが似合う。
それにしても暑い。暑いからからだもしんどい。しんどいからおこもりとなる。おこもりとなるとなお更にやる気が出ない。
こうした悪循環を意識的に断ち切るには・・・、やはり徘徊に限る。
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なんと日本人の平均年齢がまた延びたそうです。
わたしのところは夫と6歳違いなので、数字だけで考えるとわたしは少なくとも13年は一人で暮らすことになるんだなぁ~。数字だけではね。
でも、父親のことを考えると、ひとっていつあちら側に行くのかわからないから、本当にそうなるかはわからないな。
それにしても、誰かがいっていたのだけれど、「この世はあまり楽しくなかった。やっと死ねる年齢になったと思ったら、どうもあの世というのがあるらしい・・・。死んでもまだあの世での生活があるのかと思うと、気持ちが暗くなる・・・」
う~ん、けだし名言なり。
やっぱりわたしもいつおつむがぼんやりしてくるか分らないから、はっきりしている今の内に、したいことは全部しとこ。
やっぱり、こうなったら「わがまま」・・・「我がまゝ」に生きるほうがいい。誰に遠慮があるものか・・・。ただし、「我がまゝ」とは「勝手」とはわけが違うし、自己中とも異なる。
わがかつての上司が始めた認知症高齢者グループホームの名前は、くしくも「我がまゝ荘」である。
人生の最期くらいは我がまゝにということからネーミングしたとか。
でも、なかなか我がまゝって難しいことなのかもしれないな。
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お月様が太ってきている。
今頃の宮古島はどんなだろうか・・・。様々な意味でいまや沖縄は食い物にされている。団塊世代が大挙して沖縄を目指している感ありというところだ。
石垣島はもうだめだろうというのが実感。本島から抜け出そうとしている沖縄移住組みは口をそろえていっている。
「もう、沖縄はだめさァ」
ああ・・・だけれど、ホントにそうなんだろうか・・・?
だからと言うわけではないけれど、宮古島にいくわたしは少しくらいは希望をもっているのだ。
というわけで、8月4日まで宮古島にいってまいりまァ~っす。
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山鉾巡幸が終わると祇園祭が終わってしまったかに見える京都ではあるが、実は今日が本当は大切な、還幸祭。
三条通りを「駒方稚児」さんがおとおりになって、中御座、東御座、西御座の神輿に乗った神様がおとおりになる道を祓い清め先導する。
今夜がその還幸祭なのだ。さっきまでその行列を見送った。是部見るとなると夜中までかかりそう。もちろん八坂神社あたりはひとひとひとの波に違いない。
さっき見た「駒方稚児」さん。稚児社参を始めとしてこのひと月の間、さぞかしや大変だったろうに・・・。
そんなことも影響してか、小さい多分小学生だと想うのだが、みょうに凛とした佇まいには、今夜はちょびっと感動した。
単にイベントではなく、きっとカミサンが憑いていはるんやろな。
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こんばんは天鈴花です。
祇園祭も終盤に入り、24日はいよいよ還幸祭、つまりお神輿にのって神さんが八坂神社へお戻りになる日なんですよね。
鴨川を鴨川を渡って神さんが一週間の間、御旅所におとどまりになり、三条通りを通られて八坂神社にお戻りになるのだそうです。
そこで今日は、「行きて帰りし物語」と行くことにしましょう。
さて、行きて帰りし・・・というと、えっ??という印象をお受けに成るのではないですか?
そうなんです。行って帰ってくる・・・ってこと・・・です。
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縁と言うものを感じる。昨日はわたし達のスペース「リレイト」が旗揚げ講演をした。
そしてその前日に河合隼雄先生が逝去された。「リレイト」のスーパーヴァイザーをしてくださっている、京都大学大学院教育学研究科准教授である、皆藤章先生の恩師でもある。
皆藤章先生は特に河合隼雄先生の後期の思想を受け継ぐ「語り部」として存在する貴重な存在であり、河合先生が創設された「臨床教育学」という学問においても、第一人者でいらっしゃる。
その河合先生が、「リレイト」の旗揚げ講演会の前日に亡くなられた。一瞬、明日は大丈夫だろうか・・・などといらぬ心配をしたものの、不思議なシンクロニシティというかご縁を感じざるを得なかった。
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いやはや・・・いわゆる祇園祭、山鉾巡幸がひと段落した。とはいえまだ祇園祭はまだ継続中なのだ。京都市内ではそれこそ、コンチキチンの音が聞こえることも少なくなっているが、それでもまだまだ24日の還幸祭、28日の神輿洗いそして31日の疫神社・夏越の祭りなどが残されている。
還幸祭とは、神様が八坂神社へお戻りになることなのだから、これは目が離せないことではある。
鴨川を渡って街にいらっしゃった神様が、いよいよお戻りになるまでの間、ひとびとは注目はしていないものの、京都市内の各地ではやはり神事は執り行われているということ。
23日は三条商店街にある「三条御供社」では「おはけ」という神事がおこなわれる。
「おはけ」の語源は定かではないが、どうも「お刷毛」に関係あるらしい。つまり、祓いの呪力を象徴しているようなのだ。
わたしは23日のその「おはけ」を取材する予定だが、さても・・・いかがしたものか・・・。
夏はきぬ・・・。今朝、今年の夏(?)初めてのせみの初鳴きを耳にした。
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仕事をしない生活を始めて4年経った。仕事をしないストレスというのも味わった。で、やっぱり仕事をしたい・・・・!と内心叫んではいるものの、京大を修了してからこのところ、たいした仕事もしていない。
最近になって友人が「親子をつなぐ学びのスペース」を始めたので手伝うことになってから、にわかに忙しくなった。
そして、京都三条ラジオカフェ「祇園祭フラッシュ」の取材・原稿書き・お勉強と・・・、いっそがしい~!毎日になってしまったみたい。
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こんばんは天鈴花です。
梅雨のような雨が続いていますが、沖縄では連日クーラーが活躍しているとのことです。
うりずんの季節もすぎさろうとしており、あと一週間もすれば夏至を迎えます。
そこで、今日は「沖縄という体験」ということについてお話しすることにしましょう。
先週もお話しましたが、わたしは沖縄との出会いの中で、たくさんの「ユタ」とか「ノロ」と呼ばれる、女性の神官たちに出会いました。
なかでも、「ノロ」といわれる女性神官たちが神事の行事で口にする「神歌」の世界に与えられた聖性や呪力を彼女たちが読み取り、それを「声」にすることによって、沖縄のありようを今によみがえらせているのだとしたら、むしろ、そういったことこそが「沖縄という世界」を支えているといっても言い過ぎではないと、わたしは先週お伝えしました。
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沖縄の友達から朝一の電話。いつものごとく、未来への不安を語る。
「絵を描いていきたいから・・。やっぱりおんな絵描きになる!」と宣言して沖縄へ移動してはや満四年。
一方、我が息子は、精一杯の南方を6年間体験したあげく、「もう沖縄。十分味わいました・・。」と内地(?)に就職先をさがすことになった。琉球大学に入学したときには「もう家には帰らないよ。ずっと沖縄にいる。寒いのはいやだからね」。そんな風に宣言していったのに・・。どんな心境の変化があったか知る芳もないが、いずれにしても「行きて帰りし物語」だな。まあいいさ、どこにいても元気で自分の道を歩いていってくれれば。
だが、さきの友達にはまだ「沖縄」が必要なようだ。
というのも、この間の玉城の「夏至祭り」に向けて描いた「龍の絵」が、思いのほか売れなかったみたいで落ち込んでいるというのだ。それで意気消沈していたのだが、思ったような女絵描きデビューを果たせなかったことが、いくばくかのショックをもたらしたらしい。
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教育を語るには大変な労力が必要だ。
「教育」を語るのか「学校」を語るのかあるいは、「学び」のどれを語るかよっても、内容が微妙に異なってくる。
TVやラジオあるいは、さまざまなメディアで「教育」を語るが、いまひとつ要を得ない。学校教育制度のことと、教育、あるいは学びがごちゃ混ぜになっているから、聴いていると本質がかみ合わないところで、それぞれが言いたいことを言っているから、始末に終えない。
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