凛子
<絵のこと>
ぬり絵に夢中になったのが、絵にかかわる一番古い記憶だ。小学校にあがる前にい
つもいっしょに遊んでいた幼なじみの話によると、「二人でぬり絵をやってるとき、あた
しは飽きっぽくて雑ですぐいやになっちゃたけど、凛子ちゃんはていねいで根気強くす
ごくきれいにやった。」というから、そのころから「絵」には特別な思い入れがあったの
かもしれない。
私たちの年代では、小学校入学前の一年間は幼稚園に行く子供が多かった。でも私は幼稚園に行っていない。親が入園手続きを忘れてしまったからだ。
幼稚園は家のすぐ近くにあった。
私はその一年を一級下の幼なじみと園のかきねのまわりで遊んで過ごした。
園から聞こえるにぎやかな子供たちの声を聞きながら、そのかきねの向こう側の自分の知らない世界を想像して、多分にうらやましく思っていた。でも、毎日遊ぶその幼なじみがいたので寂しいということはなく、小学校入学をむかえた。
集団生活未経験ということや、早生まれ(二月生まれ)ということもあったのだろうか。小学校に入学してからの私は、何をやるのものろかった。担任の女教師には、あからさまに、「何をやってものろくて、はきはきしない子」といわれていた。
帰りの「さようなら」のあいさつの時のことは、いまでもよく憶えている。道具を全部しまったランドセルを机の上にのせ、両手を膝において「さようなら」というのが一日の最後のあいさつだった。
全員そろったところであいさつをすることになっていたのだが、みんなが片付けを終わらせて両手をお膝に乗せているのに、いつも私一人だけ必死に道具をランドセルに詰めているのだ。
そうするとその女教師が「さあ、終わっていないのは誰かな?」というのだ。この時のことは今でも思い出すたびに冷汗が出そうになる。
同僚の教師の娘を特別扱いしたり、身なりのきちんとしたはきはきした子をかわいがったり、そのころの教師は「ひいき」ということを大っぴらにやっていた気がする。
もっとも、持っているものはいつかは芽を出すとみえて、小学校二年のころには、この教師も私の絵の表現力に気付いてきたらしい。このころの成績表をしばらく後で見ることがあったが、それをみるとそのことがわかる。
そして以降、中学、高校と進むなかで、「絵」は唯一、ずっと私に自信を持たせてくれるものとなった。
学校は大して楽しい所ではなかったが「図工」がある日だけは違った。賞状も沢山もらった。けれど、それを欲しいと思って描いたことは一度もなかった。
ただ描くことが好きだった。ただ、それを他人に評価されたことが自信につながったといえば確かにそれもあるかもしれない。
何をやるにも相変わらず時間がかかる私だった。ところが小学校六年のときだった。
私は自分の時間を捨てた。
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