母の日を前に、母が逝った・・・
母が逝った。
4月の末に一度倒れてから、数週間した5月4日の早朝、お世話になっていたグループホームの施設長や奥様に看取られて、母は85歳の生涯を閉じた。
4時に京都の自宅でわたしは目が覚めていた。なんとなく母のことを思いながら早朝に目が覚めたことを恨めしく思っていた。
5時半ごろ電話が鳴った。
「少し様子が・・・」お世話になっているグループホームの施設長の声がわずかに狼狽している。
すぐにわかった、母が危篤なのだ。
「すぐに帰ります」
わたしは程なく新幹線に飛び乗った。
だが、母は電話の後、ほとんど眠るように逝っていたのを知ったのは、グループホームの母の居室に着いたときだった。
母は既に手を胸の前に組み、両のまぶたは閉じていた。
初めて母の顔を見たような気がした。
あんな顔を今までみたことがない。はじめて、「荒井弘子」という女性の顔を見たような気がした。
わたしが知っていたのは、母親としての荒井弘子さんだった。
でも、目の前に横たわっているのは、わたしの今まであったことのない、一人の女性としての荒井弘子さんだった。
「わー、きれい」
思わずわたしは声を出してしまった。
母はこんな顔をしていたんだ。
本当にびっくりした、そんな、今までわたしが見たことの無い顔を残して、母はこの世を去っていた。
母親や妻としての役割を、わたしの知っている顔でともかく必死に生きてきたのだと思った。
でも、最期はやっぱり、「我が侭」で逝ったんだな・・・。お疲れ様でした、そしてご苦労様でした、荒井弘子さんという魂の方。「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」と夜中につぶやいていたのは、あなたからのこの世への感謝のことばだったのかもしれないね。
母を看取ってくださった、「我がまゝ荘」の紫藤和夫施設長、奥様の克子さま、そしてグループホームの介護職員の皆様、本当に有難うございました。
皆さまのおかげで、母は人生の最期を「笑み」で迎えることが出来ました。
このご恩は決してわすれません。
有難うございました。 合掌
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